2013年

10月

29日

志村ふくみさんの言葉

志村ふくみさんのこと

先日、胸に迫る文章に出会いました。インターネットを通じて配信された貴重な情報を、知り合いの方が届けてくださったものです。少し長いのですが、引用させていただきます。

 

『人生は織物のようなもの』

                              志村ふくみ 染色家で紬織の人間国宝

           「致知」2013年11月号 特集「道を深める」より

 

   自分の色というものは、

   たった一つしかないのかもしれません。

   それを求めてもらいたいと思いますね。

 

   一つしかない色だけれど、喜びや悲しみなど様々な感情、

   刺激によって輝いていく。

   その色に出逢うための人生じゃないですか。

 

   それと同じように、

   人の人生も織物のようなものだと思うんです。

   経(たて)糸はもうすでに敷かれていて

   変えることはできません。

 

   人間で言えば先天性のもので、

   生まれた所も生きる定めも、

   全部自分ではどうすることもできない。

 

   ただ、その経糸の中に陰陽があるんです。

   何事もそうですが、織にも、

   浮かぶものと沈むものがあるわけです。

 

   要するに綾ですが、これがなかったら織物はできない。

   上がってくるのと下がってくるのが

   一本おきになっているのが織物の組織です。

   そこへ緯(よこ)糸がシュッと入ると、

   経糸の一本一本を潜り抜けて、トン、と織れる。

 

   私たちの人生もこのとおりだと思うんです。

   いろんな人と接する、事件が起きる、何かを感じる。

   でも最後は必ず、トン、とやって一日が終わり、朝が来る。

   そしてまた夜が来て、トン、とやって次の日が来る。

   これをいいかげんにトン、トン、と織っていたら、

   当然いいかげんな織物ができる。

   だから一つひとつ真心を込めて織らなくちゃいけない。

   きょうの一織り一織りは

   次の色にかかっているんです。

 

             出典 致知出版社 「人間力 メルマガ」

 

どこにも無駄のない言葉が綴られていて、何度読み返しても心に響きます。なかでも胸打たれたのが下記のくだりです。

 

   経(たて)糸はもうすでに敷かれていて

   変えることはできません。

 

   人間で言えば先天性のもので、

   生まれた所も生きる定めも、

   全部自分ではどうすることもできない。

 

宿命、あるいは宿業、宿縁といったものでしょうか。確かに自分ではどうすることもできないのですが、さりとて受け入れ難く、抗ったり、時に恨んだりしがちです。自分がああだったら、ああなれたのに。こうだったら、こうはならなかったのに、なんて。

 

けれど、人生ってここを受容することからしか始まらないのかもしれません。いいものも悪いものも、すべては天からの賜りものと思って。そう思うのは相当難しいことですが。

 

織り機にピンと張られて整然と並ぶ経糸は、どこか潔く、それだけで美を感じさせます。まさに天からの賜りもの。緯糸を通していくのは自分の手です。経糸を生かすも殺すも緯糸次第、そう思うと可能性は無限大です。

 

自分の色がどんな色なのか、まだわかりません。真心込めて織るうちに自ずと浮かび上がってくるはず。そう信じて、今日の一織り、明日の一織り、丁寧に織っていきたいと思います。これからの人生、まだまだ楽しみです。

 

 

 

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2013年

10月

15日

マーク・ロスコの闇

マーク・ロスコの闇

すっかり陽が短くなってきました。6時に店を閉め、帰る頃にはもう真っ暗です。秋の始め、うす暗がりのなか一人歩く道は、とてもさみしいものでした。いっそ真っ暗になると諦めがつくのか、さみしさにも慣れてきました。

 

前回のブログ「ポテトなじかん」で、私はセンター向きじゃないと書きました。それと関連して、私は陽の当たる場所向きじゃないなぁ、と思うこのごろです。

 

ブログ「イサム・ノグチの輪っ!」で書きましたが、近代アートというのか前衛アートというのかそういうのが好きで、絵画ではマーク・ロスコが好きです。

 

マーク・ロスコと聞いて「?」と思われ方が多いでしょうか。ご存知の方はご存知の方で、違った意味で「?」と思われるかもしれません。絵の具を塗りたくっただけのような、しかも黒が多くて、とても暗い絵を描く画家です。

 

数年前、滋賀の美術館で彼の絵を観た時のこと…。黒い絵の具の部分を見ていて、見入ってしまい、ぐいぐい引き込まれ、引き込まれ引き込まれ、そうして突き抜けて、パーンと解放されるような、そんな感覚に陥りました。不思議な感覚でしたが、とても爽快だったことを覚えています。

 

戒壇巡りというのをご存知でしょうか? お寺の床下を巡るもので真の闇を体験できます。時々やっている寺院があり、清水寺で体験した時は、観光地のこと前後に人の気配があり、アトラクション気分でした。滋賀の木之本地蔵院というお寺では、全くの一人でしたので、それはそれは怖かったです。ならば、しなければいいのですが、なんか好きなんです。(笑)

 

原始以来、人間は闇は怖いものなのでしょう。真の闇は怖いものですが、真の闇に至るまでには様々なうす闇があり、それぞれに趣が変わるように思います。

 

マーク・ロスコの描く黒はやはり闇を連想させます。ただ、暗いけれどほの明るい。なにか温かみが感じられ、ゆっくりなら進んでいけそうな気配。かすかに希望を包み込んでいて、どこかにつながっていると思わせる闇…。私のまったくの主観ですが。 引き込まれたのは、そのせいだったのでしょう。

 

陽の当たる場所を全力で颯爽と駆け抜けるのは素敵なことですが、私には晴れがまし過ぎて、とても出来そうにありません。

 

うす闇で全力疾走は難しく、自然と歩みは遅くなります。うす闇に目が慣れてくると、いろいろなものが見え出すことがあります。陽の当たる場所に慣れた目では見えなかったものが。そうしたものを見つけながら、ゆっくり歩いていくのが、私には向いているように思います。

 

それでも、やっぱり闇は不安で怖くて、さみしいものです。「この道でいいんだよ」と、足元にそっと明かりを差し出してくれる手が欲しいと思うことも。

 

そんなあれこれを思いながら、秋が深まっていきます。

 

 

 

 

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2013年

10月

03日

ポテトなじかん

ポテトなじかん

先日、「ポテトなじかん」というテレビ番組に出させていただきました。関西で頑張るホットな人を紹介する45秒のコーナーです。

 

昨年のラジオ出演(ブログJupiter)といい、一般人の私がどうしてっていう感じですが、光栄なお話はお受けした方がいいかと。一人では不安で、頼りにしている起業家仲間「ナロウボート キョウト」さんhttp://www.narrowboat.jpに一緒に出てもらった次第です。

 

「しののめ寺町」も映っていることですので、動画をご覧いただけるようにしています。が…、まったくもってお恥ずかしい。

 

小学校の学芸会、クラス一美人の女の子がお姫様役。舞台中央でスポットライトを浴びて演じているのを、召使役の私が舞台そでで見ていたら…。いきなり背中を押されて、舞台中央に出ちゃった、スポットライト浴びちゃった、あわわ、どうしよう…、みたいな。そんな戸惑い満載の顔をしていて、自分でも笑ってしまいました。

 

私、やっぱり、センター向きじゃない。(笑)

 

あまりテレビを見ないもので芸能ネタに弱いのですが、AKB48でしたっけ? 総選挙とやらで、指原なんとかちゃんが一位になって見せた戸惑いの表情、わかる気がします。センターにはセンターに収まりのいい人というのがあるものです。例えとはいえ、AKBを引き合いに出すのは厚かましいことでした。スミマセン。

 

私、高校野球を見れば、補欠にも選ばれないスタンドで応援する選手が気になります。劇団四季のミュージカルを観れば、舞台のうしろのうしろの、そのまた端っこで踊る俳優さんが気になります。きっと自分を投影するのでしょう。

 

そこからのし上がりたいと思うタイプの人もあるのでしょうが、私はそこはそこで居心地がよかったりして。万一、センター行きの話が舞い込んだとしても、他の人にどうぞどうぞと譲ってしまうタイプです。

 

控え目とかでなく、自信がないんです…。

 

こんな私ですが、店を始めたら、そんなことも言っていられません。「宣伝 命」と思って、前へ前へ出るよう心掛けてきました。でもやっぱり板についていないのが、この放送を見てよくわかりました。

 

なんだか、たどたどしい。(笑)

 

素敵なお店には必ず素敵な人がおられます。そうした方は自分の魅力をよくご存知で、自分が看板、自分が商品と自負して、店のみならず自身をプロデュースするのがうまい。まさに店は人なり、人は店なり。

 

「しののめ寺町」は寺町という素晴らしい立地に建つ店です。創業以来37年愛され続けている「じゃこ山椒」という看板商品があります。あとは、そこに立つ人…。

 

私のたどたどしさに、見かねて手を差しのべてきてくださった方も多かったと思います。そろそろ、たどたどしさを卒業し、堂々と「しののめ寺町」のセンターを努められる人になりたいと思います。しっかりとプロ意識を持って。

 

自分を客観視する機会を与えてくださった毎日放送さん、ありがとうございました。

 

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