場の神様

場の神様

1月もはや中旬。新年のご挨拶が遅れました。皆様、どのように新しい年を迎えられましたでしょう。

 

私はといいますと…。12月は一年で一番忙しい月。店を始めて以来、毎年のことながら、大掃除もお正月の準備もできないままの年越しとなってしまいました。疲れと安堵感から、ちょっと虚脱状態で迎えた新年。午後になって、ようやく自宅近くの大型スーパーへ買い物に。今時は元日から開いている店があり、忙しい身には助かります。

 

そこで古くからの知人にバッタリ。年末のブログ(ブログよぅ、がんばらはったなぁ)を読んでくださっていたのか、偶然か。会うなり「よぅ、がんばったなぁ」と声を掛けていただきました。その言葉がスッコ~ンと心に落ちたもよう。一年間、張りつめていた気持ちが一気に緩み、とつぜん涙がポロポロ。

 

通りすがりの方は、なんと思われたことでしょう(笑)。お恥ずかしい限りですが、涙の効能は絶大。なんだか気持ちがスッキリし、にわか仕掛けのお節の準備、大掃除のまね事などをして、たちまちお正月気分にリセットされました。

 

豪華なことはなにもない我が家ですが、休みと思うだけで味わう解放感は、なによりの贅沢です。最後には、読書の時間も少し持つことができました。なにも起こらない静かな時間…。ふと、あの慌ただしい生活にまた戻れるだのろうか、と不安がよぎったりして。

 

そんな不安も束の間、営業前日には仕込みやもろもろの準備に、朝早くから店に行かねばなりません。いつも思うことなのですが、長い休みの時は、店も静かに休息しているよう。普段は店も緊張しているんだなぁ。邪魔をしないよう、静かに準備に取り掛かるのが常です。

 

ところで、店にはたくさんの守り神様に居ていただいています。神棚には各社のお札。店先の植木には小さなお地蔵様。店内には大黒様(ブログ大黒様)に鳳凰様(ブログ鳳凰様)。祇園祭の厄除けの粽(ちまき)に招き猫。飾られた写真や絵画…。

 

非力な私たち、四方八方から守っていただかないと、と一つずつ自分で買い求めたものもあれば、お客様や知人から贈られたものもあり。その方たちのお気持ちも含めての守り神様だと思っています。

 

閉店後には、その日の無事に感謝して、それぞれの神様にご挨拶するのが欠かせない習慣です。そして店を出る前、最後に店内を振り返ると、いつからでしょう、天井近くにゆらゆらと、たゆたう気配を感じるようになりました。とても厳かで、畏れ多い。けれど、おおらかな…。思わず手を合わせます。

 

それは守り神様たちが融合されたもののような。あるいは、どの神様でもない独自のもののような。この土地の上に建つ、この店にのみ宿られる神様。いわば「場の神様」とでもいうのでしょうか。開店から5年を過ぎて、ようやく姿を現してくださったのか。あるいは、ようやく感じられる私になったのか。

 

何百年と続く老舗店に入った時に感じる、えもいわれぬ空気感があります。それはやはり、そのお店の「場の神様」が、醸(かも)し出されるものなのではないでしょうか。誰の目にも明らかなその風格は、重ねられた年数のたまもの。さすがというしかありません。

 

この神様、もし私が邪(よこしま)なことを考えたり、したりしたら、たちまち消えてしまわれるに違いない。建物はあっても、もぬけの殻のような、そんな店になり下がり、やがて消えてしまう。そんな気がしています。

 

節目の5年を過ぎ、6年目となる今年は、これまで無我夢中で気づかなかったこと、そうした一つ一つを丁寧に見直していく年にしたいと考えております。「場の神様」に守られながら、試されながら、最後にまた泣き笑いできるよう、がんばっていく所存です。

 

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

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ちりめんじゃこ

ちりめんじゃこ

京都では野菜の高値が続いています。皆さんのお住まいのあたりでは、いかがでしょうか。冬野菜の美味しい季節、お鍋などでふんだんにいただきたいところですが、つい買い控えてしまうのが実情です。

 

昨年の相次ぐ台風の影響かと思われますが、野菜以外にもいろいろな方面で影響が出ているもよう。ちりめんじゃこも例外ではありません。海流の変化もあるとか。漁獲高が大幅に減り、深刻な品薄、価格高騰が続いています。

 

ちりめんじゃこは誰もが好きな食材。じゃこ山椒も、今では京都土産に挙げられるほどの人気商品となりました。扱っておられるお店は数知れず。皆さん、どうしておられるものやら。分け合って、譲り合って、この危機を一緒に乗り切れたら…。なんていうのは夢物語。現実は厳しい競争の世界です。

 

どうなることかと案じながらの年越しでしたが、幸いにも、なんとか確保できている状況です。ひとえに、仕入れ業者さんのご尽力のおかげ。長年のお付き合いと信頼関係の大切さを痛感した次第です。

 

ただ、仕入れ価格の値上がりは免れず。当店で販売の商品も、一月より一袋の容量を55gから50gにさせていただいております。少し形の不揃いなちりめんじゃこが紛れていることもあるかもしれませんが、ご容赦のほどお願いします。

 

これまでにも、自然災害による不作や不漁、それに伴う様々な被害の様子は、ニュースなどで何度も見聞きしてきたところです。丹精込めて作られたお米や野菜、果物が、一日にして無に帰す。自然災害とは少し違いますが、手塩にかけて育てられた家畜が、思いもよらない病気で処分の憂き目に遭う…。

 

いずれも、どんなに無念なことかと思いを馳せながらも、どこかで遠い世界のことと感じていたように思います。今回、自分の身が危ぶまれる事態になって初めて、決してひとごとではないのだということを思い知った次第。想像力の乏しさに恥じ入るばかりです。

 

日本の食の豊かさは、今さら言うまでもないこと。まわりには食べ物が溢れかえっています。お金さえ出せば手に入らないものはなく、目新しいものが次々と現れ、飽きることがありません。

 

もとを辿れば、それらは海や山の自然の恵みであること。動物であれ植物であれ、他の生き物の命をいただいているということ。その有り難さをつい忘れがちになっているように思います。

 

私が敬愛してやまない佐藤初女さん(ブログ佐藤初女さんのこと4)が、生前、よく口にされていた言葉があります。「命の移し替え」…。自然の恵みをいただき、自分の中にまた生かしていく、ということでしょうか。

 

春、庭に芽吹いたフキノトウを、小さなナイフでそっと切り取り、収穫されている映像を拝見したことがあります。自然に対する慈しみ、謙虚さがにじみ出たお姿が、とても印象的でした。

 

野菜でも魚でも、そのものの良さが最大限に生きるよう丁寧に調理され、出来上がった料理を、皆で感謝していただく。そういう活動を長年してこられた初女さん。幸運にも、そんな場をご一緒させていただけた経験は、今でも私のかけがえのない宝物となっています。

 

上の写真は、炊く前のちりめんじゃこです。小さくて、柔らかくて、触れるとふわふわして、銀色に輝いています。まさに銀(しろがね)。これを鍋で炊くと、黄金(こがね)色に照り返るじゃこ山椒となります。美しいマジックのよう。これもひとつの「命の移し替え」かも。などと思うのは、少々拡大解釈過ぎるでしょうか(笑)。

 

1月10日に商売繁盛を願って行われる十日えびす。今年は神戸に住む友人の案内で、兵庫県の西宮神社に出かけてきました。恵比寿様は、鯛を抱えておられることから、豊漁の神様でもあられるとか。商売繁盛と共に、一日も早い豊漁を一心に祈願してきました。

 

当たり前のように仕入れ、調理し、販売している…、と思っていたちりめんじゃこ。それは決して当たり前ではないことを、今回の不漁は教えてくれました。自然の恵みに感謝し、その自然からいただいた命を、自分の中でまた生かせる私でありたい。改めてそんなことを思うこのごろです。

 

皆様には、ご理解のうえご了承いただけますこと、心よりお願い申し上げます。

 

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堀文子さんの言葉 3 

堀文子さんの言葉3

新しい年が始まったと思ったら、早、2月も終わり。一年の6分の1が過ぎたことになります。ということは…、今年の目標の6分の1が片付いていないといけない、という勘定でしょうか。いやはや、困った。

 

昨年は3月に5周年を迎えるということで、チャレンジの年と位置付け、年初からなにかと慌ただしい毎日でした。なかでも対外的な仕事は、それぞれに厳格な締め切りや決まりごとがあり、否が応でも対応せざるを得ない状況に。

 

慣れないことに四苦八苦しながらも、お尻に火が点くと出来てしまうものだなぁと、人間に備わった底力に感心したものです。ぎっくり腰という、有り難くないおまけつきではありましたが(笑)。

 

そんな新しいこと続きだった昨年から一変。今年は、地に足をつけ、腰を据え、今あることを一つ一つ丁寧に見直す年にしよう。そう目標を掲げました(ブログ場の神様)。

 

開店から間もなく6年。改めて見直してみると、改良しなければいけない点がたくさんあることに気づきます。まるで目の前にあったフィルターを外されたよう。どうして今まで気づかなかったのか、なんと無知なままやってきたのか、呆れるばかりです。

 

それもこれも6年続けてきたからこそわかること。心新たに推し進めていこう、そう考えていました。例年、1月2月は店ものんびりモードとなり、手を付けるには格好の時期です。

 

ところが、いざとなると考えが頭の中で堂々巡りするばかり。一向に行動に移せません。必ずしも、今日、しなくてもいいわけで。むしろ、しない方が、余計な混乱を巻き起こさずに済むわけで。

 

なんて、先送りしているうちに日は過ぎるばかり。自分で自分のお尻に火を点けるのは難しいもの。しまいには、動物も冬眠する季節、寒さや日照時間の短さが、人間の行動力も鈍らせてしまうのかも。なんて、苦しい言い訳をしたりなんかして(笑)。

 

ふがいない自分に呆れながら、この間、しきりに浮かぶ言葉がありました。私が敬愛する女性の一人、画家、堀文子さんのエッセイ「堀文子の言葉」に収められた一節です(ブログ堀文子さんの言葉 堀文子さんの言葉2

 

群れない 慣れない 頼らない 

これが私のモットーです

 

一つの画風を確立すると、もはやそこには留まらず、新たな画風を求めて、新天地を切り拓き続けて来られた、孤高の画家、堀文子さん。自由な発想と、果敢な行動力。なにより、それらを支える強靭な精神力。堀文子さんの言葉には、どれも圧倒されますが、「慣れない」の言葉には、痛いところをキリキリ突かれる思いがします。 

 

正直のところ、今年の目標は、チャレンジの年と位置付けた昨年より、ずっと楽だと思っていました。とんだ見当違い。今あることを見直していくのは、新しいことを始めるよりも、ずっと難しい。

 

慣れたことには、良くも悪くも安心感があり、わざわざそれに手を加えるというのは、とても勇気の要ることです。変えたことに、理由を求められることもあるでしょう。確かな裏付けと自信がないことには出来ません。

 

私がなかなか行動に移せない理由。それは、そもそも知識や経験が絶対的に足りないからではないか。裏付けがないから、自信もない…。

 

なんの知識も経験もないまま飛び込んだ商売の世界。なにがわかっていないのかもわからないまま、ただ夢中でやってきたように思います。ようやく、わからないことが、わかってきたのでしょう。無知なまま行動することが、とても怖いことだと気づきました。

 

堀文子さんは、常に感性を研ぎ澄ませ、日々、研鑽(けんさん)を積んでこられるなか、ひとところに安住し慣れてしまうことを良しとしない。そういう生き方が、身につかれたのだと想像します。慣れない、ということの裏には、たゆまぬ努力が不可欠。成長し続けていることが前提です。

 

改めて、一から勉強だなぁ。

 

学ぶべきことがあまりに膨大で、ちょっと途方に暮れている私でありますが、年頭に掲げた、今あることを一つ一つ丁寧に見直していく、という目標。これは今年に限ったことではなく、ずっと続くテーマです。ならば、焦らずに、できることからやっていこう。そう思うと、少し気が楽になりました。

 

堀文子さんには遠く及びませんが、現状に慣れてしまうことなく、常に新しい「今」を更新していけるよう、たゆまぬ努力を続けていきたいと思います。よりよい店づくり、健全な経営を目指して。

  

年明けから2ヶ月をかけて、ようやく目標達成のためにすべきことが明確になりました。かなりの出遅れ。しかも、かなりの遠回りとなりそうです(汗)。どうぞ気長に見守ってくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

 

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アロマキャンドルヨガ

アロマキャンドルヨガ

以前のブログでも書きましたが、店を始めてから、自宅近くのフィットネススタジオに通うようになりました。夜遅い時間や店の定休日を利用して、ヨガやピラティスといったプログラムに参加しています。(ブログ

 

店をやっていくためには、なんといっても健康が一番。体のメンテナンスのためにと通い始めたのですが、思いのほか心のケアに役立っていることに驚いています。なかでも金曜日の夜のアロマキャンドルヨガは、心身共にリラックスできる心地いいプログラムです。

 

週休二日のOLさんたちは、ここで一週間の疲れを癒して、素敵な週末に入っていかれるんだろうなと想像します。水曜と第2、4木曜が定休日の私は、金曜日はまだ始まったばかり。そうはいかないのが、ちょっと辛いところではありますが。

 

照明を落とし、アロマキャンドルの灯りと香りのなか、まずはヨガマットに横たわり、目を閉じて、力を抜いて、深い呼吸を繰り返すことから始まります。

 

この時に先生から掛けられる言葉が、心にストンと落ちていくことがあります。まるでその日の私のために用意されていたかのように…。とてもシンプルな言葉なのですが、禅問答のような、哲学のような、神の啓示のような。大袈裟に思われるかもしれませんが、私にとってはそんな感じです。

 

そうした時々の言葉と心模様を記録しておきたくて、帰宅するなりフェイスブックに投稿することがあります。私にとってフェイスブックは、ネット上の絵日記のようなもの。印象深いことがあった日は、写真を添えて投稿するのが、いい息抜きになっています。振り返ってみたくなり、いくつかピックアップしてみました。

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。目を閉じて、自分の呼吸に意識を向けて。「手放したいものを呼吸にのせて、全部吐き出しましょう。ストレスだったり、傷みだったり…」って、先生。ヨガって、深い。      2014年9月12日

アロマキャンドルヨガ

 

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。久し振りに来たら、心も体もこわばっているのがよくわかる。「今日は、ただただ自分の呼吸に意識を向けてみましょう」って、先生。自分勝手はよくないけれど、自分中心はいいのかも。

 

                  2014年10月3日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。ここで聞く言葉はいつも心地いい。ネガティブな言葉は全部洗い流して、いい言葉だけ残して、今夜は眠ろう。 

                            2015年11月20日

アロマキャンドルヨガ

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。「日常に起こる小さなアクシデントは、なにかのお知らせかも知れません」って、先生。お知らせだらけの毎日、気づきがいっぱい(笑)。そう思ったら、おもしろい。

              2016年3月11日

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。「自分の動きやリズムに違和感があれば、自分のイメージに変換することができます」って、先生。嫌なことは、嫌なまま残しておかなくていいんやなぁ。って、私流の解釈。        2016年4月1日

 

アロマキャンドルヨガ

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。スタジオの窓から満月。「満月の夜は、要らないものを手放しやすい日です。自分の感情のなかで、これは要らないと思うものを、吐く呼吸にのせて手放すことができます」って、先生。なんだか身軽になれた、満月の夜。

                  2016年4月22日

 

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。「ちょっといいかも、って思えることを見つけられると、自分は変われる」って、先生。ここに来ると、あくび連発の私。しかもお構いなし。どんだけリラックスしてるんやろ。こんな緊張感のない私って、ちょっといいかも。                    2016年5月27日

アロマキャンドルヨガ

 

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。マットに横になって、目を閉じて、深い呼吸をして。「評価しないで、自分を観察してみましょう」って、先生。なんか、涙が出た。

(ブログ評価しない

                 2016年12月2日

 

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。まるで障害物競走みたいなこのごろ。一つクリアするたびに、息つく間もなく「ほら次、次」って急き立てている私がいて。「自分のペースに合わせて呼吸をしてみましょう」って、先生。それだけのことが、こんなに心地いいなんて。なんか、ほっとした。      2017年4月7日 

 

アロマキャンドルヨガ

今夜はアロマキャンドルヨガ。手を合わせて、目を閉じて、ただ立つポーズ。体が微妙に揺れるよう。「揺れを止めなくていいですよ。その揺れを味わいましょう」って、先生。わからないこと、決められないこと、だらけの毎日。そんな揺れている今も、大事な時間かも。 2017年10月20日

 

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。「自分の中に秘めているもの、出し切れていないもの、そういうものに目を向けてみましょう」って、先生。えぇ~、私の中、そういうものでいっぱいや~ん。               2018年2月23日       

アロマキャンドルヨガ

 

今夜はアロマキャンドルヨガ。瞑想の時間。「頭の中を駆け巡るものが出てきたら、そっと眺めてみましょう」って、先生。それは怖いものだったりするけれど、そっと眺めてみる…、その距離感はいいかもしれない。

           

                 2017年3月9日

 

 

こうして読み返してみると、その時々の思いが、手に取るように思い出されます。時に途方にくれていたり、疲れ果てていたり。それでも、いつもいつも心にあったのは「明日、店を開けなくちゃ」という思いでした。

 

邪念が頭をかすめながらも、ひとつひとつポーズをとっていくうちに、少しずつ体の偏りが修正され、滞っていたものが流れていくのを感じます。連動して、心にも同じ感覚が。

 

得体のしれない巨大なものと戦い、翻弄されているように思っているけれど、実は自分のありよう次第なのかもしれない。そんなことに気づかされます。

 

帰宅後、フェイスブックの投稿を済ませ、軽い夕食を取り、お風呂から上がると、たちまち深い眠りに落ちていきます。翌朝の目覚めは、いつもすっきり。こうやって一週間、一週間…。

 

お蔭様で「しののめ寺町」は3月16日、6周年を迎えることができました。店と向き合ってきた年月は、とりもなおさず自分と向き合ってきた年月だったのだなぁと思います。そして、フェイスブックの私の拙い投稿に「いいね!」をくださった方をはじめ、たくさんの方に励まされてきた年月でもあります。

 

節目の5年を過ぎ、新たな力が必要な時が来ていると感じるこのごろ。ますますしっかり自分と向き合い、自分の中に秘めているものを惜しみなく出していかなければ。怖いことはいっぱいあるけれど、それでも踏み出していく勇気を持たなければ。そんなことを思っています。

 

来年、元気で7周年を迎えられるよう、この一年またがんばってまいります。これからもよろしくお願い申し上げます。 

 

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桜 2

桜 2

今年の京都は、春の訪れを感じるや、暑いまでに気温の高い晴天続き。桜の季節も、例年にない早さで過ぎていってしまいました。皆様のお住まいの地域ではいかがでしょうか?

 

店に来てくださるご旅行のお客様のなかにも、花見のつもりじゃなかったのに、思いがけずラッキーだったわ、とお喜びの方。一方で、お花見目当てで来たのに、もう散っちゃっていたわ、とお嘆きの方。と、さまざま。

 

紅葉の季節にも思うことですが、なにぶん自然相手のこと。予想が当たったり、外れたり。そうしたことも一興かな、なんて思ったりします。外れたお客様には申し訳ないのですが。

 

そういう私はと言いますと…。

 

これまでのブログでも何度か書いていますが、春がとても苦手でして(ブログ私が苦手だったもの 春 天狗おじいさん)。春が近づくや、土中の虫や、芽吹く前の植物のうごめく気配に、心がざわざわと落ち着かなくなってしまいます。

 

いよいよ春本番となるや、満開の桜のあまりの見事さに、そうまで美しさを誇らなくってもいいじゃない。なんて、天邪鬼なことを思ったり。美しい余りの痛々しさに、胸苦しくなったり。しまいには桜のことを考えただけで、涙なんか出てくる始末。若い娘じゃあるまいし、と漫才ばりのツッコミを自分に入れるも、相方はボケきれず、すべるすべる(笑)。いやはや、私にとって春は困った季節です。

 

そんな苦手意識も、店を始めてから少しずつ解消されてきたように思うのですが…(ブログ)。今年は新年から行動力に欠けたまま足踏み状態が続く私でありまして(ブログ堀文子さんの言葉3)。裏腹に、例年にない早さで開花していく桜の、段取りのいいこと。毎年感じる「置いてきぼり感」は、いつも以上となってしまいました。

 

そんななかでも、私なりの春の楽しみ方、桜の愛で方を身につけつつあるのかも、と思うことも。上の写真は、店の近くの御所南小学校の桜です。仕事帰り、地下鉄丸太町駅まで歩く道すがらの夜桜見物が、恒例の楽しみとなりました。校舎からの明かりでライトアップ。この日は枝の合間から月が覗いて、風流をひとり占め。これはこれで贅沢、かな? と、一人、悦に入ったりなんかして。

 

店を始める前はよく美術館に出かけたものですが、地下鉄から近道となる川沿いの小道を通るのがお気に入りのコースでした。どの季節も風情があるのですが、春、川面に枝をせり出させて、水面につかんばかりに咲く桜が、それはそれは綺麗でした。ふと思い出して、仕事帰り、夜の散歩と洒落こんでみることにしました。

 

お花見のピークを過ぎた平日。ふだんでも穴場のような小道。静かです。少し散った花びらが川面で花いかだとなっていましたが、幸運にもまだ満開の木もありました。照明といっても、近くの住居から漏れる明かりがあるばかり。それでも桜は自らが灯りとなって、自らを浮かび上がらせるようです。薄明りの中で見る桜は、ひときわ美しいものでした。

 

急ぎ足で去っていくかに思えた春が、ここではゆったり進んでいるような。名残を惜しんでいるような。置いてきぼりを食らったと思っていた春の背中に、辛うじて指先でタッチできた気がしました。

 

見惚れ過ぎたのでしょうか、写真を撮ることをすっかり忘れていました。記憶の中の映像を、自分のイメージを膨らませて思い出すのも、またいいものかもしれません。その年の、その時の、自分の気持ちを重ね合わせながら。

 

桜の楽しみ方は様々あるものなのだなぁ。名所じゃなくても、お日様の下じゃなくても、ライトアップされていなくても、自分流の楽しみ方を見つければいい。そんなことに気づいた今年の春でした。

 

来年の春、私は、どこで、どんな風に、桜を見上げているんだろう。そんなことを想像してみると、早くも来年の桜が楽しみに思えてきます。桜の枝の上で、鬼が笑っているでしょうか(笑)。

 

春はミステリアスな季節です。

 

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私の中の女の子 2

私の中の女の子2

以前のブログでも書きましたが、私の中に一人の小さな女の子がいます(ブログ私の中の女の子)。

 

専門的なことはよくわかりませんが、インナーチャイルドと言うのだとか。誰の心の中にもいると思うのですが、私の場合、会ったことがあるというか、なんというか…。見える、というのは珍しいことかもしれません。

 

もともと人から「変わっている」とよく言われる私。このブログでも、怪しげなことを書いているなぁと思うこと、たびたびです(笑)。ですが、正直がモットー。引かれるのを覚悟で、ありのままを書いてみようと思います。

 

女の子に初めて会ったのは、私が二十歳過ぎの頃。当時、勤めていた会社の研修が東京であり、その帰りの新幹線の中でした。車内はすいていて、二人掛けの席を一人占めで、東京駅のホームで買い求めた文庫本を読んでいました。

 

任務を終えた安堵感と、そのあと東京で遊んだ高揚感。ちょっと大人になったような満足感もあったでしょうか。心地いい疲労感に浸りつつ、ふとページから目を上げた時でした。

 

唐突に、幼い女の子が現れました。頭の中に浮かんだ映像なのでしょうが、私には「現れた」という感覚でした。

 

3歳くらい。短いおかっぱ頭。こちらに背を向けてしゃがみこみ、棒切れかなにかで、地面に絵を描いているようです。舗装などされていない、砂の地面。あたりの風景は見えないのですが、私が生まれた家の近く、幼い頃によく遊んでいた路地であることがわかります。

 

女の子は無心で一人遊びに耽っています。その姿は幼くはあるけれど、存在感が絶大で、私は近寄ることも、声を掛けることも、ましてや触れることなど出来そうにありません。顔は見えませんが、私は確信します。

 

その女の子は、幼い日の私…。

 

突然、涙が溢れました。なんの涙なのかわかりません。強いて言うなら、侵しがたいものへの、畏怖の念のような。しばらくして、女の子は消えました。

 

あまりに不思議な出来事でした。なにかメッセージを届けに来たのかなぁと思いながら、日々の生活のなかですっかり忘れていきました。

 

再び、彼女が現れたのは、さらに20年近く経った頃でしょうか。人生半ば、いろいろ思い悩む時でした。女の子はまた唐突に現れ、初めての時と同じ状況で佇んでいます。私は彼女より相当、年齢の離れた大人になっているにもかかわらず、やはり彼女の絶大な存在感に圧倒され、怖れさえ感じていました。

 

以来、女の子は頻繁に現れるようになります。彼女はなにがあっても弱音を吐かないし、わがままも言わない。とにかく我慢強い。決して動じることなく、いつもそこにいます。

 

彼女がすべてを引き受けてくれている。彼女にはとうてい敵わない…。私にとって、女の子はそういう存在でした。

 

変化が表れたのは、店を始めて一年くらい経った頃でしょうか。女の子は、振り返るようになり、無邪気に笑ったり、時に泣いたり。少しずつ感情をあらわにするようになりました。彼女が安心した表情でいられること。いつからか、それが私の中の指標になりました。

 

その彼女、今年に入った頃からでしょうか。どうしたことか、なんだかやんちゃになってきまして。思うままを口走ったり、大声で泣きわめいたり。いやはや私は手を焼くばかり。通るわがままもあれば、通らないわがままもあり。それでも泣いて叫んだあとは、気が済むらしく、またあどけない表情に戻ります。

 

店を始めて、たくさんの方に出会い、たくさんの経験をし、たくさん心を揺さぶられ、私の中の女の子は、本来の子供らしさを取り戻してきたのだなぁと思います。あまりに遅ればせではありますが。

 

女の子は、とりもなおさず、私自身…。

 

彼女に翻弄されながらも、決して嫌ではなくて。むしろ、もっともっとわがままを言ってしまえ。秘めてきた思いを全部、吐き出してしまえ。なんて、けしかけている私です。

 

年齢は一年一年重ねていくもの。過去にさかのぼって、やり直すことなど許されません。が、本当にそうでしょうか。私自身、時々、人生を逆行して生きているような気がすることがあります。あるいは、どこかの地点から生き直しをしているように思うことも。もしかしたら、人生は行きつ戻りつできるのかも。

 

上記の写真は、私が大好きなサラ・ムーンという女性のカメラマンの作品。今回のタイトルで、ふと思い浮かんだ写真です。それを自分のカメラで撮ってみました。

 

いつにも増して怪しい話にお付き合いいただき、ありがとうございました。まだまだ摩訶不思議な、私の中の女の子。これからの変化を、またご報告できたらと思います。

 

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自分の中に毒を持て

自分の中に毒を持て

日帰りでも、泊まりでも、一人でふらりと出かけることが好きだった私。知らない場所に、ただ一人、身を置く感覚が好きでした。本を読むことも好きで、日がな一日、読書に耽っていたいと思うくらい。そのどちらも、店を始めて以来、すっかりできなくなってしまいました。

 

そんな私の思いを、束の間、両方、満たしてくれる場所があります。街中にあって、ちょっと非日常な空間。心ゆくまで本の世界に浸れる、極上の場所…。ブックカフェです。以前のブログでも少し紹介しました(ブログ画家 堀文子さんのこと)。

 

仕事帰りが多いのですが、先日の定休日、近くに所用があり、珍しく昼間にふらりと立ち寄ってみました。座った席の前には、いつもながらに魅力的なタイトルの本がずらり。その中にひときわ異彩を放った一冊がありました。

 

「自分の中に毒を持て ~あなたは”常識人間”を捨てられるか~」                              

 

著者は岡本太郎氏。「君は、この本を手に取る勇気があるか ? ! 」。ギョロリと向いた目で、にらみつけられた気がしました。これはもう受けて立たないわけにいかない! 意を決して手を伸ばしました。

                 

 岡本太郎氏といえば、なんといっても1970年大阪万博の「太陽の塔」がお馴染みです。個性的でエネルギッシュなイメージは作品のみならず、作者自身と重なります。生まれながらの天才。それが素のままの方だと思っていました。

 

著書を読み、その裏には激しい葛藤があったことを知りました。なにものにも、おもねらない独自の感性、美意識、価値観。世の中に溢れかえる「常識」に、一人立ち向かう孤独な戦い。迸るエネルギーがどのページからも溢れていて、たちまち引き込まれてしまいました。

 

自分の中に毒を持て

 

そのエネルギーの源となっていたのが、この言葉だったのだと、挑発的なタイトルの意味が理解できました。同時に、私の心にストンと落ちるものがありました。

 

「しののめ寺町」開店以来、毎日が試行錯誤の連続。うまくいくこともあれば、いかないこともあり。それでも昨日よりは今日、今日よりは明日…、と少しずつ前に進んできたように思います。お蔭様で6年が過ぎました。

 

もちろん今も、より良い店にしていくべく、試行錯誤の毎日に変わりはありません。ですが、なんだか前に進まない、という感覚に陥ることが増えました。これまでと同じやり方では、もう通用しないのではないか。新しい視点が必要な時期に来ているのかもしれない。そんな思いが心に去来するようになりました。 

 

仕事でもプライベートでも、まわりと協調していくことは、大切なことです。無用な軋轢を生まないよう、多少、自分の思いをセーブしてでも、まわりに合わせる。一般的と言われる流れに沿う。リスクは避けて、無難に、平穏に…。

 

この著書を読み、思わず知らず、そういう考え方で行動することに慣れてしまっている自分に気づかされました。あながち悪いことではないかもしれないけれど、自分で限界を作ってしまっているような。なんだか、おもしろくない。

 

太郎氏のような生き方は、とてもじゃないけれどできませんが、エッセンスだけは取り入れてみたい。以来、試していることがあります。

 

日常でなにか決断をする時、例えば買い物に迷った、なんてささやかな場面。「自分の中に毒を持て」と心の中で唱えてみる。すると少し違った選択ができる気がします。自分が本当に選びたかったのは、こちらだったんだ、と意外に思うことも。

 

弱気になりそうな時「自分の中に毒を持て」と唱えてみる。すると、強気がむくっと頭をもたげ、内なるエネルギーを呼び覚ましてくれるような。エネルギーを封じ込めていたのは、私自身だったのかも、と少し自分を俯瞰できます。

 

「自分の中に毒を持て」は、私のおまじないの言葉になりました。唱えてみるだけで、なんだか、おもしろい。まだ、よくわかりませんが、なにかが変わっていく、大きなヒントが含まれている気がしています。

 

太郎氏のみならず、誰もが個々に持つ感性や美意識や価値観。そうしたものを解き放って、もっと自由に生きられたら素敵だなぁ。それが、今ある「常識」と言われるものから、少しばかりはずれていたとしても。そんなことを思うこのごろです。

 

今回は、まだまだ未知数の話となりました。またご報告できることがあれば、書いていきたいと思います。

 

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地震のこと

地震のこと

先日の6月18日、月曜日の朝の地震には驚きました。仕事に出かける直前のこと。けっこう揺れましたが、すぐに治まり、いつも通りに店に向かいました。

 

店に着いてテレビをつけると、震源地はお隣の大阪とのこと。思いのほか影響は大きく、交通の乱れも報じられています。前日の日曜日にお越しいただいたご旅行のお客様は、きのうのうちに帰宅されただろうか。発送した荷物は大丈夫だろうか。いろいろ案じられ、不穏な思いのスタートとなりました。

 

店のパソコンには、早速にご心配のメールがいくつか届いていました。ほかにも心配してくださっている方があるかも…。ご覧になっているかどうかわかりませんが、せめてもと、店のフェイスブックで無事の旨のお知らせをした次第です。

 

今回の地震で犠牲になられた方には、心からのお悔みを申し上げるとともに、今も不自由な生活を余儀なくされている方には、一日も早い復旧を祈るばかりです。

 

上の写真は、地震の二日前の土曜日に撮ったものです。月が好きなことは、このブログでも何度か書いています(ブログ三日月 ブログ月は満ち 欠け また満ちていく)。仕事帰りに、夜空を見上げ、月を眺める。一日の終わりのささやかな楽しみです。

 

その日は触れると指先を切りそうなくらい、細く尖った三日月でした。その上に、光る星ひとつ。まるで見えないチェーンでつながった星と月のよう。なんだかドラマチック…。束の間、メルヘンの世界にいざなわれた気分で、飽かず眺めていました。

 

いつも携帯しているカメラで撮影すると、意外にも見たままに写すことができました。こうして見ると、一枚の切り絵のよう。僭越ながら、切り絵作家、藤代清次さんの絵を思い出しました。

 

その夜はたまたま綺麗な月と星だった。それを見つけて、いつにも増してうれしかった…。その時は、ただそれだけのこと、と思っていました。

 

いろんなことがある毎日、店をやっていると、なおさらです。いいこともたくさんあるけれど、そうばかりはいきません。それでも、ともあれ一日を無事に終え、安堵と感謝を胸に、夜空を見上げる帰り道。それだけで、なんて幸せなことだろう。改めて写真を眺め、そんなことを思っています。

 

地球もひとつの星。そこに間借りさせてもらっている私たち。地球には地球のなりたちというものがあって、人間の都合に合わせるわけにはいかないでしょう。それでも、どうか地球の神様、穏やかでいてください。そう祈らずにはいられません。

 

大震災を経験された方のご苦労はいかばかりか。どんなに想像力を働かせても及びません。が、お隣大阪が震源地ということで、我が事としていろいろ考えさせられた、今回の地震でした。

 

あの日から、月は日に日に丸みを帯び、満月も近いような。当たり前に見ていた月の変化が、とても愛おしくられる感じられるこのごろです。

 

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京上ル下ル(きょう あがる さがる)

京上ル下ル

このたびの大雨では、西日本を中心に大きな被害が出ました。京都でも経験のない事態に、不安な数日を過ごしました。被害に遭われた皆様には、心よりお見舞い申し上げます。

 

そんななか恐縮ではありますが、今回はちょっと楽しい出来事のご報告を。5月のこと、テレビの突撃取材を受け、その放送が約1か月後の6月半ばにありました。

 

あまりテレビを見ない私は、ただでさえ疎いうえに、j:comというケーブルテレビとのこと。よくわからないまま了承するや、たちまちカメラがまわり始め…。慣れないことゆえ緊張しましたが、リポーターのお二人はじめ、スタッフの方がうまく誘導してくださり、なんとか無事に撮影を終了することができました。

 

終わってから番組名を聞くと「京上ル下ル(きょう あがる さがる)」とか。聞き覚えのある名前だなぁと思ったら、知人のケーキ屋さん「リンデンバウム」さんが、以前に出演された番組でした。あいにくうちのテレビでは映らないのですが、ありがたくも「リンデンバウム」さんがCDに録画してくださり、後日、見ることができた次第です。

 

リポーターのお二人は「かどちゃん」ことミュージシャンの門松良佑さんと、「こころん」こと女優の浅見 心ちゃん。商品を試食していただきながらの楽しいトークは、絶妙の掛け合いで、私も思わず笑ってしまうほど。終始、和やかな撮影でした。

 

京都の街は言わずと知れた碁盤の目。南北の通り名と、東西の通り名をセットで言えば、おおよその場所がわかります。そこから北に行くなら「上ル(あがる)」。南に行くなら「下ル(さがる)」。東に行くなら「東入ル(ひがしいる)」。西に行くなら「西入ル(にしいる)」。これでピンポイントの位置が割り出せます。

 

京都の住所は、町名と共に、こうした通り名が併記されていることがよくあります。京都の住所は長いと言われる所以ですが、そのお蔭で超方向音痴の私でも、迷わず辿り着くことができる、ありがたい仕組みです。

 

「しののめ寺町」も、町名の「久遠院前町(くおんいんまえちょう)」の前に、「寺町通り夷川(えびすがわ)上ル」と明記しています。「寺町通り竹屋町下ル」の方が近いのですが、「下ル」より「上ル」の方が縁起がいいかと、開店時にこちらを採用した次第。夷川からだいぶ歩いたよ、と仰るお客様もあり、ちょっと申し訳ないところです。

 

そんな縦横に交差した京都の通りは、それぞれに味わいがあります。ふとした思いつきで通りを曲がった途端、違う世界に紛れ込んだような感覚を味わうことも。こんなところに、こんなお店が、なんて発見があったり。ただの民家がとても趣があったり。うちのお客様のなかにも、観光地には行かず、こうした街歩きを楽しみに京都に来られる方が、たくさんいらっしゃいます。

 

そんな京都の通りを上ル下ルしながら、お店や人との出会い、触れ合いを楽しむ街歩きの番組「京上ル下ル」。まさに京都らしいタイトル、企画だなぁと思います。

 

今回は「下御霊神社あたり」ということで、出演されたのは、もちろん私も知っているお店さんばかり。皆さん、飾らないお人柄がにじみ出ていて素敵です。道中では、番組ファンだという方が、リポーターのお二人に声を掛けてこられたり。以前に出演された方との偶然の出会いがあったり。突撃取材ならではのライブ感がいっぱいです。

 

そうしたワンカット、ワンカットを、丁寧に編集して仕上げられた番組。見終わった時には、なんだかほんわかとした気持ちになりました。地元だったせいでしょうか。いえいえ、それだけではないようです。

 

放送後にはさっそく「番組を見ました」というお客様がご来店くださるようになりました。皆さん「かどちゃんが…」「こころんが…」と、親しみを込めて話されるのが印象的。多くの視聴者に愛されている番組なんだということが、よく伝わってきます。そんな番組に出させていただけたこと、改めてうれしく思っているところです。

 

ゆっくりテレビを見る時間のない私。申し訳ないのですが、これからもj:comに加入することはないかと思います。が、厚かましくも、気持ちだけは「京上ル下ル・ファミリー」に加入させていただけたつもりでいます(笑)。

 

もしこの先どこかの通りで、偶然、撮影隊と遭遇することがあったなら、私も声を掛けていいかなぁ。なんて思ったりして。「あの時の『しののめ寺町』です!」と胸を張って答えられるよう、これからもがんばっていこうと思います。

ご興味のある方は、ぜひ一度「京上ル下ル」の番組をご覧ください。
https://c.myjcom.jp/jch/p/kyoagarusagaru/

 

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西日本豪雨のこと

西日本豪雨のこと

やはり、このことについて書かないわけにはいきません。7月上旬に西日本を襲った豪雨のこと…。

 

京都では7月6日の金曜日、強い雨が降り続いておりました。仕事の合間に見るテレビからは、尋常でない雨であることが伝えられています。嵐山を流れる桂川、街中を流れる鴨川。増水の様子が映し出されます。

 

寺町界隈も早じまいされるお店があったようですが、閉店間際のご予約が入っていたこともあり、通常通り6時まで営業することにしました。そんな大雨のなかでも「開いててよかった」と駆け込まれるお客様もあり、ありがたいやら、申し訳ないやら。

 

地下鉄で帰宅すると、京都中いたるところに出されている避難勧告の知らせが、テレビのテロップで流れます。自宅は該当しませんでしたが、すぐ隣の学区にまで及び、これまで経験したことのない恐怖を覚えました。

 

身の危険と共に案じられたのは、やはり仕事のこと。道路の寸断や交通網の乱れは、たちまち物流を止めてしまいます。折しもお中元のさなか。この先、発送予定の荷物は届けられるだろうか。昨年の台風の影響で、不漁と価格高騰が続くちりめんじゃこに、さらなる打撃はないだろうか。

 

不安だらけの一夜でしたが、明けてみると、京都市内では幸いに大きな被害は出なかったようです。一方で、京都府北部や他府県での広範囲にわたる被害の甚大さには、言葉を失ってしまいました。

 

当然のことながら物流にも影響が。なかでもクール便は許容量が限られるのでしょう。クロネコヤマトさんのホームページでは、受け付け停止地域が刻々と更新されていきます。

 

ふだん当たり前に思っていることが、なんと有り難いことか。先が案じられましたが、翌日にはずいぶん復旧しました。物流に関わる皆さんの努力の賜物でしょう。安堵と感謝で、集荷に来られたクロネコさんのお顔を見るなり、思わず抱きついて泣いてしまいました。その日の担当は女性でしたので。念のため(笑)。

 

その後も、報じられるのは広がり続ける被害の状況。自然の恐ろしさを痛感するとともに、これが首都圏近くであったなら、政府の対応は、マスコミの取り上げ方は、同じものだっただろうか。悔しさもこみ上げます。

 

お恥ずかしいことですが、店を始めるまでは、遠くで起こることは、あくまで遠くの出来事。自分とは縁遠いことと感じていたように思います。店を始めて、決してそうではないことを知りました。

 

四国や九州の漁場で獲れるちりめんじゃこ。奈良県吉野の実山椒。北海道利尻の昆布。大分の原木椎茸…。「しののめ寺町」は、京都から遥かに離れた場所の自然の恵みをいただいて成り立っています。

 

箱やビニール袋などの包装資材は、どこのどんな原料で作られているのか把握していませんが、値上げのお知らせの折に、思いもかけない国の影響を受けているのだと知ることがあります。

 

そうした物たちが、網の目につながる空路や陸路に乗って運ばれます。遠い場所の悪天候やアクシデントにも、無関心ではいられません。

 

そして…「しののめ寺町」をご愛顧くださっているお客様は全国に。なかには外国にお住いの方も。台風や地震、テロ…。ニュースで聞く県名や国名に、あの方、この方、お顔が浮かびます。

 

あらゆることが、直接に間接につながり合って、私たちの日々の暮らしが成り立っているんだなぁ。たとえ店をやっていなくても、この世の中で起こることで、自分とまったく無縁のことなど、ひとつもないんじゃないか。そう思うようになりました。

 

そう思うあまり、様々なニュースを見聞きするたびに、過敏に反応して疲れてしまう、ということも。今回も、被災地の映像を見ていると、自分自身の抱える不安と相まって、さらに不安が増幅していくよう。見るに堪えず、チャネルを変えることが増えていきました。

 

大阪を震源とする地震に驚いたのも束の間、西日本での豪雨、続く猛暑。前例のない動きを見せる台風…。日本は、地球は、どこに向かおうとしているのか。想像を超えた事態の連続に、夏バテだけではない疲れを感じています。

 

上の写真は、7月17日の鴨川です。京都はちょうど祇園祭のさなか。朝には山鉾巡行が行われ、夜には御神輿が市中を駆け巡った日。その勇壮な御神輿を見たあとの、四条大橋からの眺めです。

 

あんなに増水していた川も、すっかりいつもの表情に戻り、風物詩の一つである、等間隔で座るカップルの姿も健在です。あぁ、鴨川はこうでなくっちゃあ。見慣れたはずの光景が、あまりに美しく、思わずカメラにおさめました次第です。

 

被災地の様変わりした映像を思い出すと、申し訳ない思いもあります。が、今、自分の目の前にあるものに感謝して。今、自分の目の前にある困難に向き合って。まずは自分の「今」を生きること。それが一番大切なんじゃないか。

 

私は、私の、今日を、しっかり生きよう。

 

犠牲になられた方々のご冥福と、被災された皆様の一刻も早い復旧を祈りながら、そんなことを思った夜でした。

 

早くから暑かった今年。まだまだ夏は続きます。不安は拭いされませんが、まずは健康に留意して、一日一日を過ごしていきたいと思います。皆様もどうぞご自愛ください。 

 

 

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マザーレイク 琵琶湖

マザーレイク・琵琶湖

9月となりました。残暑はまだ続きそうですが、ひとまずやれやれ、というところでしょうか。甚大な被害をもたらした西日本豪雨、連日の猛暑…。天候だけをとってみると、とても過酷な夏だったように思いますが、皆様はどのように過ごされましたでしょう。

 

私はといいますと、正直のところ、心身共にとても消耗した夏でした。開店から6年となる今年は、年初からなにかと難しさを感じる年でした。無我夢中だった5年を過ぎ、至らなさばかりが目についたり。先延ばしにしていた問題が、一気に噴出したり…。解決していくには、知恵も経験もまだまだ足りず、手をこまねいているばかり。「6年目の壁」というものがあるのかどうか存じませんが、いよいよ力を試される年にさしかかったんだなぁと、見えないプレッシャーがつきまとう前半戦でした。

 

こうした精神状態に追い打ちをかけたのが、今年の天候。日本各地で起こる想定外と言われる異常気象の連続に、先の見えない不安が増幅したのでしょうか。心身のバランスを保つことが、とても難しい夏だったように思います。(ブログ西日本豪雨のこと

 

そんな身には夏休みが待ち遠しいところですが、世の中のお盆休みは、「しののめ寺町」がふだんより賑わう時期。毎年、少しあとにずらして夏休みをいただくことにしています。が、この時期からの一日一日の堪(こた)えることといったらありません。人間の体は、お盆に休養するようにできているに違いない、と思うくらい。暑かった今年はなおさらで、一日千秋の思いで待つ夏休みでした。

 

店を始めるまでは旅好きだった私ですが、今は計画することも、出かけることも億劫に。休みは「ただただ家にいたい派」になってしまいました。気づけば、もう何年も旅行らしい旅行をしていません。体は楽ちんですが、気持ちをリフレッシュするには、やはり違った場所に身を置く方がいいのかも…。

 

今年は気持ちの疲れの方が勝(まさ)っていたのでしょうか、そんなことを考えていると、無性に琵琶湖に行きたくなりました。ここなら京都からは近く、面倒な計画も要らず、日帰りでも充分のんびりすることができます。

 

夏休みに入った初日、スイッチを一気にオフにすべく、さっそく出かけてみました。幸い猛暑が一段落した日。あいにくの曇り空で、湖面も美しい色とは言えませんでしたが、疲れた心身には、これくらいがいい感じ。琵琶湖から吹く風は心地よく、あぁ、夏休みだぁ~と、心も体もたちまち解放された気分になりました。

 

なにしろ琵琶湖が大好きな私。以前は、年に何度も出かけたものです。大きくて、穏やかで、眺めているだけで、安心感に包まれるよう。心沈む時などは、一人でふらりと出かけ、飽かず湖面を眺めたことも。開店間もない頃、行き詰まった思いで出かけた先も、やっぱり琵琶湖でした(ブログ滋賀県 菅浦 つづらお荘)。琵琶湖は「マザーレイク(母なる湖)」と呼ばれていますが、私にとってまさにそんな存在です。

 

久し振りに眺める琵琶湖は、やっぱり大きくて、穏やかで。いいことも、そうでないことも、すべて優しく包みこんで、受け容れてくれました。リゾートと呼ぶにはあまりにささやかですが、とても豊かな時間を過ごすことができました。

 

長い長い夏でした。過酷だった分、いろんなことを考え、そのなかで気づくことがたくさんありました。気づいたことを、後半戦は行動に移していける人になりたい。うまくいくこと、いかないこと、あるでしょう。それでも、失敗を恐れず。たとえ失敗したとしても、そんな自分をも受け容れられる私でありたい。琵琶湖を眺めながら、そんなことを思った夏休み…。

 

私の心の中に、碧(あお)い水を湛えた、小さな小さな湖が生まれた気がしています。

 

 

【追記】このブログは、台風で臨時休業となった9月4日午前に書き上げました。それから想像を絶する台風の襲来。幸い、自宅と店は大丈夫でしたが、各地で大きな被害が出ているもよう。心からのお見舞いと、一日も早い復旧をお祈りしています。 

 

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